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このページはこちらに移転しました リアル 作詞/MiZ 少し幸せな夢を見て 静かに起きた空っぽの朝 ゆっくり周りを見渡せば 何も変わらぬいつもの風景 少しがっかりしたけれど これが私のいつもの朝 『夢は夢だよ何やってるの』 目覚まし時計がリアルを告げた カーテン越しに覗く朝日は 何を私に求めているの? 夢なんて叶わないよ だって夢は夜だけのモノ 夢なんて叶わないよ だって私は現実のモノ 今日もね ほらテレビのニュースキャスターが 夢も希望も関係ない 人の絶望を伝えているよ 今日もね ほらテレビのニュースキャスターが 夢も希望の光もない 国の悲惨さを伝えているよ カーテン越しに覗く朝日は 何を私に訴えてるの? 何を望めば夢なのか どんな日々が現実なのか まったく分からないけれど スーツに身を包みながら 私はリアルの戸を開く
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~黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る~ 李白 故人 西のかた黄鶴楼を辞し 古くからの友人『孟浩然』は(揚州より)西の方角にある黄鶴楼(※) に別れを告げ、 煙花三月 揚州に下る 春の霞が立ち上る三月に、揚州に向けて下っていった。 弧帆の遠影 碧空につき 『孟浩然』が乗る帆掛け舟の遠い影も、青空に吸い込まれて見えなくなり 惟だ見る 長江の天際に流るるを ただただ、長江が天の果てまで流れているのをみているだけであった。 ※黄鶴楼 中国の武漢の南西にあった建物。 突然だが、漢詩というものをしっているだろうか? 中国に昔から伝わる詩のひとつだ。僕はこれが大好きなのだよ。 昔の人がどんな事を考えていたか、どんな経験をしていたのか、昔を知る手がかりになるからね、とても面白い。よんでいてワクワクする。意外と昔の人も今の人と考えている事が変わらないのだよ。 でも、そんな漢詩にも読んでいて悲しくなる物があるんだ。 中学校の教科書で読んだ漢詩なのだけどね、初めて読んだ時はまさかその漢詩と同じような体験をするなんて思いもしなかったものだよ。くっくっ。 そう、あれは中学校の卒業式の時だ。 ~黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る~ 李白 故人 西のかた黄鶴楼を辞し 『3年5組17番 佐々木○○』 はい。 席を立ち、体育館をまっすぐ歩き校長先生の元へと向かう。 おや、キョンが寝ている。泣いている人もいるのに、全く彼はいつも・・・。 演台の上に立ち校長先生の元へと一歩進む。 『3年5組17番 佐々木○○。あなたは中学校の過程を終了したことを認める。以下同文です。』 ありがとうございます。 煙花三月 揚州に下る 「全く、佐々木はいいよな。頭の良い高校へ行けて」 そんなことを良いといわないで欲しいものだ。僕は君の事がうらやましいのだよ? 「なぜだ?」 君みたいな県立高校だと試験の順位を気にしなくてもいいからね。 「・・・お前は、嫌味を言っているのか?」 くっくっ。いや、すまない。そんなつもりはなかったんだけどね。 「全く、佐々木と同じ高校へ行きたかったぜ。」 え?キョン?それどういうことだい? 「同じ高校へ行けば勉強を教えてもらう事ができたはずだからな。俺も落第せずにすむだろう?」 あぁ、そういうことですか。 弧帆の遠影 碧空につき ここでお別れだね。 「あぁ、そうだな。また、いつか会おうぜ。親友。」 こちらこそ。絶対また会おう。 「じゃあな、佐々木。」 じゃあね、キョン。 そういってキョンは特に別れを惜しむわけでもなく行ってしまった。 惟だ見る 長江の天際に流るるを 僕は、キョンが角を曲がって見えなくなってもキョンが最後にいたところをずっと見ていた。 「おねえちゃん。なんで泣いてるの?」 声がしたので見てみると、5歳ぐらいの女の子が僕を見ていた。 泣いている?僕が?そんなわけないだろうと言おうとして、ふと、目のピントが合っていない事に気が付いた。あれ?僕はいつから眼鏡が必要になったのかな? 「おねえちゃん。大丈夫?」 うん、大丈夫だよ。気にしないで。と言おうとするけど上手く喋る事ができない。 ただ嗚咽する声が漏れるだけだった。 End
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もしも明日 この世界がなくなってしまうとしたら あなたは最後に誰を思いますか? 輝く星 太陽 空も 雲も全部無くなったら 誰があなたを照らしてくれますか? 悲しい夢を見たの? 優しい歌が欲しいの? 頬を伝う一筋の涙は 何を意味するの?? もしも泣く 怒る 笑う 感情が無くなるとしたら あなた最後に誰に何を見せますか? 夢や 希望 情熱 愛 あなたを創る全てのものが いつまでも いつまでも 照らされますように 一人では寂しいの? あたたかいぬくもりが欲しいの? 心をつなぐものは うまくもない(飾らない)でもあたたかい歌 手と手をつなごう 心と心を結ぼう 一人じゃない 周りを見渡せば ほら世界は 希望に満ち溢れてる 悲しい夢を見ても 一人で寂しくても 一筋の光を注ごう ほら勇気を出して 歌おう 下手でもかまわないさ あなただけの音 心 ほら 奏でよう あなただけの やさしい音
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>今ココ 「蒿里」 「枯魚過河泣」 「悲歌」 「西門行」 「戦城南」 「上邪(上雅)」 おまけ「善哉行」 解説「古楽府」 「蒿里」 アーカイヴ版53p 蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚、鬼伯一何相催促、人命不得少踟躕。 訳 この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促し、人の命は安息の地を得られず彷徨いつづけるのですか。 【踟躕】徘徊するさま。 関連:曹操【蒿里行】 「枯魚過河泣」 枯魚過河泣、何時悔復及。作書与魴鱮、相教慎出入。 訳 干魚が河を渡りつつ泣いている。後悔は先にたたず。 お手紙かいて仲間に配った、「互いに教えあって出入を慎みなさい」 「枯魚」は魚の干物 。 釣られて悲しいので、魚仲間に「怪しい所を教えあって、釣られるな」と手紙を書いた。古代中国のドナドナ+α? 楽府詩集·卷七十四·雑曲歌辞十四 「悲歌」 アーカイヴ版 楽府詩集巻62の5p 悲歌可以當泣,遠望可以當歸。思念故郷,鬱鬱累累。 欲歸家無人,欲渡河無船。心思不能言,腸中車輪轉。 訳 泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。 帰りたくとも家に人は無く、河を渡ろうと欲しても船はない。心の思いを言うこともできず、せめて胸の中で車輪を故郷へ向けて転じよう。 悲歌行ともいわれる。 「西門行」 アーカイヴ版 p87 解説 本辞と晋楽所奏の二通り。晋楽所奏版の訳は、解説参照。 晋楽所奏は後半部分が五言ないし七言で揃っているのに対し、本辞は不ぞろいなので、晋楽所奏より作成時期は古いと思う。一番古い型かどうかは不明。 出西門,歩念之。今日不作樂,當待何時。 逮爲樂,逮爲樂當及時。何能愁拂鬱,當復待來茲。 醸美酒,炙肥牛。請呼心所懽,可用解憂愁。 人生不滿百,常懷千歳憂。晝短苦夜長,何不秉燭遊。 遊行去,去如雲。除獘車、羸馬為自儲。 訳 西門を出て、歩きながら念じた。今日楽しまなければ、次の楽しみはいつのこと。 楽しい事をするなら、楽しい事をするならまさに今。何を悶々と愁い悩み、次の機会を待つのかい。 美酒を醸そう、肥牛を炙ろう。願わくば心に喜びを、かなうならば憂愁を解こう。 人生は百年にも満たず、常に千年先への憂いをいだく。 昼は短く夜の長きは苦しく、なにゆえ燭を手にとって遊ばない。 遊行して去り、去ること雲のごとし。潰れた車をどかせば、弱った痩せ馬も大儲け。 【獘車】壊れた、潰れた車 【羸馬(るいば)】弱った痩せ馬 「戦城南」 出典:《宋書》樂志、《樂府詩集》十六 原文:《宋書(国立公文書館の原文を、IA及び維基と突合せ)》 戰城南。死郭北。 野死不葬烏可食。為我謂烏。 且為客豪。野死諒不葬。腐肉安能去子逃。 水深激激。蒲葦冥冥。 梟騎戰死。駑馬裴回鳴。 梁築室,何以南?梁何北? 禾黍而穫君何食。願為忠臣安可得。 思子良臣。良臣誠可思。 朝行出攻。莫不夜歸。 訳の一例 城南にて戦い。郭北に死に。 野に死して葬られることなく烏が食らおうとしている。我が為に烏に謂(い)う。 「しばし侠客らのために任侠心を出してくれ。野に死してまこと葬られず。腐肉がどうしてお前から逃げるものか」 水は深く激しく波打ち。蒲葦は鬱蒼として戦地を覆いかざす。 恐ろしい敵も、勇敢な味方も死に絶えて。駑馬はさまよって鳴いている。 梁をもって廟を築こう、どこが『南』か、梁は『北』を向いているか? (または:梁(かけ声)廟を築こう、どこが『南』か、梁(かけ声)『北』を向いているか?) 禾黍だけが獲れたところで、君主だけでは封禅の儀は行えない。願わくば国の柱臣たらんとする者を、どのように得るか。 子の良臣たるを思う。良臣を心から思わずにはおれぬ。 まこと良臣たらんとするならば、朝に行きて攻め出でて。夜には必ず帰り来よ! 単語の意味メモ 戦城南は楽府のうちひとつである。楽府は、前漢武帝の代から発達した。 おなじ武帝の代には、董仲野の助言などによって、儒教の影響が強まっている。 よって、ここでは《詩経名物集成(国デジ)》などで掲載されている詩経(儒教)、漢代における意味を中心として掲載。 【烏】 外見では雄雌老若の見分けがつかないもの、徳人のもとに集まる民などの喩え。 周だと火の赤鳥は君主の徳を称える吉祥で、火徳の漢とも対立しない。楚辞や准南子だと、太陽と関係する。 この時代、烏は不吉なのか? 何故ここで烏を用いたか? +以下引用 国デジ http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2557296/8 詩経北風「美黒匪烏」→黒くなければ烏ではない(烏が必ず黒いように、衛の役人は全て悪人) 詩経正月「瞻烏爰止、于誰之屋」→屋=烏の集うところ、烏は富人の家に止まり食を求める。同じように民も明君のもとに集うもの 「瞻烏爰止、誰知烏之雌雄」→鳥の雌雄を見分けがたきが如し 小爾雅「純黒而及哺する者謂之烏と是なり」 古今註「孝鳥、玄鳥」、典籍便覧「哺公鳥」、後漢天文志注「陽精」単子藻林「陽鳥」、本草綱目「慈鳥 烏鴉の二種あり」 朱註「烏鵜黒色皆不祥之物入所悪見者也」、准南子精神訓「日中有渡鳥」楚辞の太陽の烏から「楚烏(鳥)」 晋鼓吹曲の伯益《古今樂錄》曰:「《伯益》,言赤烏銜書,有周以興,今聖皇受命,神雀來也。」 《史記-周本紀》「武王俯取以祭。既渡, 有火自上復于下,至于王屋,流為烏,其色赤,其聲魄云。」 (台湾での注釈)(漢の)馬融曰:「王屋,王所居屋。流,行也。魄然,安定意也。」鄭玄曰:「書說云烏有孝名。武王卒父大業,故烏瑞臻。赤者,周之正色也。」 【且為客豪】《古詩源(国デジ)》では「死者の為に侠気を出して食わぬようにしてくれ」 【豪】または彊(強)、俠、健、俊の意味 +以下引用 《康熙字典》「《廣韻》俠也。《史記-信陵君傳》平原君之遊徒豪舉耳」 維基、台湾で時代を絞って検索 管子/第八十篇 輕重甲「故封遷食邑,富商蓄賈,積餘藏羨,跱蓄之家,此吾國之豪也 「吾祖迈明徳,結客豪長者。」「有金母,投壺玉女為客豪。」 【腐肉安能去子逃】《古詩源(国デジ)》では「(子は)烏に就いて曰ふ」 【梟騎戰死】梟騎は勇敢な騎兵。異民族の騎馬隊。梟は健、勇敢。《楽府詩集》では、「梟騎戰●死」、●部分に欠字があるとする +以下引用 国デジ http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2557296/13 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2557296/26 「古注云梟鴟悪声之鳥 同見鴞下」 大雅-瞻卬、陳風-墓門、魯頌-泮水 師古曰:「梟謂最勇健也。」 漢書/本紀高帝 劉邦 北貉、燕人來致梟騎助漢。(注釈)應劭曰:「北貉,國也。梟,健也。」張晏曰:「梟,勇也,若六博之梟也。」 漢書/郊祀志第五上 於是管仲睹桓公不可窮以辭,因設之以事,曰:「古之封禪,鄗上黍,北里禾,所以為盛; 江淮間一茅三脊,所以為藉也。 東海致比目之魚, 西海致比翼之鳥。 然後物有不召而自至者十有五焉。今鳳皇麒麟不至,嘉禾不生,而蓬蒿藜莠茂,鴟梟羣翔, 而欲封禪,無乃不可乎?」於是桓公乃止。 (注釈)師古曰:「蓬蒿藜莠,皆穢惡之草。梟,不祥之鳥也。鴟,蓋今所謂角鴟也。梟,土梟也。」 桓公が封禅の儀を行いたいと言った時に、管仲は不祥の鳥である梟を例のひとつに挙げて、止めている。 戦城南では、この梟が死に絶えている。つまり、皇帝が天を祭るにあたり、障害が取り除かれた状態。 また、封禅の儀には「鄗上黍」「北里禾」が必要だと言っている。すなわち、戦城南での【禾黍】。 思悲翁(戦城南と同じく、漢鼓吹鐃歌のひとつ) 「思悲翁,唐思,奪我美人侵以遇。悲翁也,但我思。蓬首狗,逐狡兔,食交君。梟子五,梟母六,拉沓高飛暮安宿。」 【駑馬】足がのろい馬。凶年にはこの馬に乗って、いけにえをもって祀る この作品では乗り手が居ないから、徘徊していると解釈。凶年ではない、乗るべき人物が居ない。 +以下引用 戰國策、荀子、韓非子等 《周禮/夏官司馬/馬質(台湾)》「馬量三物。一曰戎馬。二曰田馬。三曰駑馬。」 《禮記》「孔子曰:凶年則乘駑馬,祀以下牲」礼記曲禮でも見た気がする。 《史記/刺客列博/荊輌(台湾)》 臣間男其額盛壮之時,一日而馳千里;至其衰老,駕馬先之。 【梁築室】《古詩源(国デジ)》死者とは棟梁の材なり廟堂にも用ひうる筈なりきと也 室は上記から考えるに、死者を祭る廟であると同時に、天を祭る封禅の儀の廟。 《至廣陵於馬上作/曹丕》「興農淮泗間。築室都徐方」 梁は掛け声との説あり。粱(コーリャンのリャン)とかける? 《楽府詩集(台湾)》注釈「兩(梁)字是表聲字。」 同じ漢鐃歌の翁離「擁離趾中可築室,何用葺之蕙用蘭。擁離趾中。」 【禾黍】穀物。黍は五穀の長? 上記のとおり封禅の儀に使うもの。殷の箕子が詠んだ詩。 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2557295/41 《史記-宋微子世家》 「其後箕子朝周,過故殷虛,感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣為其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。 其詩曰:麥秀漸漸兮,禾黍油油。彼狡僮兮,不與我好兮!」 【穫】ここでは収穫の意と解釈。 +以下引用 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2557295/89 植物の一種とする説あり。詩経大雅大東(七夕絡みの内容)。種木名。本草綱目「榔楡(アキニレ)」 →《毛詩草木鳥獣蟲魚疏》 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/2555651/118 「無浸穫薪 穫今榔檎也」同注「古刻は穫に非ず」。 Twitterでときどき三国時代の侯の字は、今と違い右上の「ユ」の字が大きかったと言う画像が出るが、穫も同様に草冠が大きかった? →「而」に、名詞、而、名詞の使用例はあるか? →基本的に形容詞、動詞、節。名詞が前に来ることは少ない。よって名詞とは考えにくい。 【莫】説文解字を知っていれば常識レベルかもしれないが、日没後のうすくらい状態を示す「暮」を意味する(こともある)。 本来は「莫」が暮の意味だったが、のちに発音から「無い、無」としての意味が与えられたため、本来の莫の意味を持つ「暮」という字が作られたという説もある(白川静氏の字統など)。 +この詩の考証 A)同じ単語の繰り返し、対比が使われている。繰り返しは見てのとおり、対比は以下のとおり。 1 南=戦、北=死 2 野死諒不葬、良臣誠可思 3 前半と後半 前半 後半 野死不葬烏可食 禾黍而穫君何食 為我謂烏。且為客豪。野死諒不葬。腐肉安能去子逃。 為忠臣安可得。思子良臣。良臣誠可思。 鳥騎=死 駑馬=徘徊鳴 B)二つの解釈 戦城南は二つの解釈が存在する様子。 一つは軍歌(おそらく上記の宋書の戦城南)、もう一つは例のような反戦歌。 この戦城南をはじめ漢曲は誤字が多かったらしく、《古詩源》では「誤が多いから、載せるべきものだけ掲載する」とまで書かれている。 《楽府詩集》《古詩源》版 戰城南。死郭北。野死不葬烏可食。為我謂烏。 「且為客豪。野死諒不葬。腐肉安能去子逃」 水深激激。蒲葦冥冥。梟騎戰門死。駑馬徘徊鳴。 築室。何以南何北 。 禾黍不穫 君何食。願為忠臣安可得。 思子良臣。良臣誠可思。朝行出攻。 暮不夜歸 。 《古詩源(国デジ)》 「漢鼓吹鐃歌十八曲。字に訛誤(かご)多し。故に其の誦すべき者のみを禄す」 宋書版との違いとして、禾黍を収穫できない、最後で兵士が帰ってこないことがあげられる。 どちらが先に出来たかは、判らない。 漢の楽府が各地から集めた詩を改変した? 後で改変された? 《樂府古題要解-戰城南》唐代呉兢を見ると、同じタイトルでも、版によって内容が違う。…初版というか、最古の版を探して検証しろってか? (維基版)「右:其詞大略言"戰城南,死郭北",野死不得葬,為烏鳥所食,願為忠臣,朝出攻戰而暮不得歸也。」 (国デジ版)「右其詞、大略言、戰城南、死郭北、野死不得葬、為烏鳥所食、願為忠臣、朝出攻戰、而莫不得歸也」 なお宋書楽志によると、戦城南は漢鼓吹鐃歌のうち一曲とされる。 楽府詩集によると、鼓吹鐃歌とは鼓吹曲(短簫鐃歌)。 蔡邕《禮樂誌》曰:“漢樂四品,其四曰短簫鐃歌,軍樂也。黃帝岐伯所作,以建威揚德、風敵勸士也。” 要は支配者が士気高揚を目的として作成した軍楽曲であり、だからこそ魏、呉、晋以降も、この戰城南を元に曲を作ったのだろう。 魏 《晉書·樂誌》曰:“改漢《戰城南》為《定武功》,言曹公初破鄴,武功之定始乎此也。” 呉 《古今樂錄》曰:“《克皖城》者,言魏武誌圖並兼,而令朱光為廬江太守。孫權親征光,破之於皖城也。當漢《戰城南》。” 晋 古《戰城南行》。《古今樂錄》曰:“《景龍飛》,言景帝克明威教,賞從夷逆,祚隆無疆,崇此洪基也。” 為政者への恨みを、歴代政権が軍楽曲にすることは考えにくい。 このことから戦城南は、支配者が、悲惨な戦で死んだ将兵を弔い、もって忠臣を求める内容とみなす。 ただ、このあたりの考え方を突き詰めると、他の漢鼓吹鐃歌は軍楽歌なのか?という問題が発生する。 《有所思》のように浮気した旦那を恨みたくとも恨めない、といった解釈がなされる歌も存在する。 仮説として、幾つか考えられるが、まあこの辺は場を改めて。 漢鼓吹鐃歌は、もともと何曲だった? 《古今樂錄》曰:「漢章帝元和中,有宗廟食舉六曲,加《重來》《上陵》二曲,為《上陵》食舉」(《上陵》も漢鼓吹鐃歌のひとつ) 「上邪(上雅)」 我欲与君相知、長命無絶衰。 山無陵、江水為竭、冬雷震震、夏雨雪 天地合、即敢与君絶。 訳 天よ互いを知り合おう 想いは絶え消ゆる事なく 山の陵が平らとなり 江の水も枯れ果てて 陰冬の空に陽雷が轟き 陽夏の地を雪氷が覆い 天地一つとなって 貴方と共に踵をあげよう シンプルなので、中国でも人気がある古典。「上邪≒天ロ馬!≒天よ!」という感じらしい。 ただ、「戦城南」と同じで、元は軍歌だという話もある(《楽府詩集》等)。 その場合は「いかなる困難も乗り越え、君のために戦おう」という感じになるのかしら。 なお江戸幕府教育機関の文書(国立公文書館所有)に、この上邪を「上雅」とする記述がある。参考まで。 おまけ「善哉行」 来日大難。口燥脣乾。今日相樂。皆當喜歡。 經歴名山。芝草翻翻。仙人王喬。奉藥一丸。 自惜袖短。内手知寒。慚無靈輒。以報趙宣。 月没参横。北斗闌干。親交在門。饑不及餐。 歡日尚少。戚日苦多。以何忘憂。彈箏酒歌。 淮南八公。要道不煩。參駕六龍。游戲雲端。 訳 一日が来るたびに大難に苦しみ。口喉は焼け付き、唇も乾く。今日だけはお互いに楽しみ。皆で歓喜を共にしよう。 名山を巡り歩けば。香草が風に波立ち。仙人の王子喬に。仙薬一丸をもらえるだろう。 我が袖が短いったらありゃしねぇ。腕手が冷えるったらありゃしねぇ。恥ずかしいことに、霊輒のような気概もねぇ。趙宣に報いることもできやしねぇ。 月が沈み、参宿の星座も傾き。北斗の星々はあんな鮮やかだというに。親友が門前に現れても。食料が乏しく、宴会を設けるようなこともできない。 歓喜に満ちた日々は貴重で。憂う日々、苦しみだけが多い。何をもって憂いを忘れるか。琴を引けや飲めや歌おうや。 淮南王の食客8人は。煩わされることなく神仙の道を往き。ついには六龍の馬車を馳せ。雲の果てに遊んだというじゃまいか。 【經歴名山。芝草翻翻。仙人王喬。奉藥一丸】 曹操秋胡行「經歴名山」「王喬」 【趙宣】春秋戦国時代、晋の人。 翳桑という場所で、病気のせいで三日間食べていない霊輒に出会い、食を与える。 のちに君主の霊公によって暗殺されかけたが、霊輒によって助けられた。 【霊輒】晋の人。 翳桑に居たとき、趙宣に食を与えられるが、飢えていたにも関わらず食事の半分を残した。 理由を問われ、「官について三年たったが、母の安否がまだわからない。頂いた食事を母に遺したいのだ」と答え、感じ入った趙宣に、さらに食を与えられた。 その後、趙宣を暗殺するよう命じられるが、逆に趙宣を助け、趙宣から名を問われたのに対し「翳桑の餓人」とだけ答え、ついに名乗らずに去った。 →近デジ掲載の一例 【歡日尚少。戚日苦多。以何忘憂。彈箏酒歌。】 曹操短歌行「去日苦多。慨當以慷。憂思難忘。何以解憂。唯有杜康。」 【淮南八公】 道教では有名な八人。 前漢の淮南王、劉安は《淮南子》を編纂したことで知られる。この《淮南子》編纂に最も貢献し、最後には仙人になったとされる八人の食客が、「淮南八公」。一説によると、蘇飛、目尚、左呉、田由、雷被、毛被、伍被、晋昌。 淮南市八公山には、この人たちが由来となった国立公園が存在する。というか地名もだw 解説「古楽府」 楽府の歴史について→『支那文学考:楽府の項(近デジ)』 詩経さえ《墨子-公孟編》に「誦詩三百,弦詩三百,歌詩三百,舞詩三百」とあるように、当時の詩は基本的に誦し、演奏し、歌い舞うものだった。 前漢恵帝の時に「樂府令」という役職が定められ、漢武帝の時に「樂府署」、いわゆる楽府が成立した。 『前漢書・禮樂志』 至武帝即位,進用英雋,議立明堂,制禮服,以興太平。 (武帝は優秀な人物を登用し、堂をたて、礼服を定め、もって太平を築いた) 至武帝定郊祀之禮,祠太一於甘泉,就乾位也;祭后土於汾陰,澤中方丘也。乃立樂府,采詩夜誦,有趙、代、秦、楚之謳。 (武帝は郊祀之禮を定め、太一(漢代の最高神)の祠を甘泉宮、乾位(長安の西北)に就けた。后土(地の神)を汾陰の地、沢中の方丘に祭った。楽府をたて、詩を集め夜も練習させており、趙、代、秦、楚の唄があった) こうして成立した楽府は、各地の詩歌を集め、改良を加えた。 そのいきさつから、樂府の詩曲は下々や反乱が起きたような南方の影響が強く、また貴族外戚の影響力が強まるに従い、淫侈過度になった。 是時,鄭聲尤甚。黃門名倡丙強、景武之屬富顯於世,貴戚五侯定陵、富平外戚之家淫侈過度,至與人主爭女樂。 (是の時、鄭聲が尤も甚しかった。黄門の名倡である丙強、景武の氏族も富むこと世に顯らかで,貴戚、五侯、定陵、富平外戚の家は淫侈過度にして、主人は女楽の技巧を争った。) 最終的には、前漢哀帝により「楽府官を罷免する。郊祭の楽や古の武楽を良くし、鄭衛の音曲を持たないもののみ、別の部署につけるよう」命令を受け、不要な音の整理を余儀なくされる。 『漢書・禮樂志』 漢書評林. 巻21-23 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/774591/88 漢書評林. 巻之22,23 http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/774626/21 哀帝自為定陶王時疾之,又性不好音,及即位,下詔曰「惟世俗奢泰文巧,而鄭、衛之聲興。夫奢泰則下不孫而國貧,文巧則趨末背本者衆。鄭、衛之聲興則淫辟之化流,而欲黎庶敦樸家給,猶濁其源而求其清流,豈不難哉!孔子不雲乎?『放鄭聲,鄭聲淫。』其罷楽府官。郊祭楽及古兵法武楽,在經非鄭、衛之楽者,條奏,別屬他官。」 (哀帝は定陶王だった時、之を疾(にく)み,また性格も音を好まなかったので,後に即位したとき,詔を下した。すなわち、 「世俗は贅沢にして文巧にはしり,鄭、衛の聲に興じている。贅沢は高慢を招き、國を貧しくする,文巧は則ち瑣末な技巧に趨(はし)るものであり、音楽の本筋といえるのか? 鄭、衛の聲は淫であり、忌むべき流れである, 人民は、正直で飾り気のなく、豊かな暮らしを欲している,濁った水源に、清き流れを求めるなど,難しいに決まってる! かって孔子も嘆かなかったか?『聞こえるは鄭国の音曲ではないか、鄭国の音曲はみだらだ』と。 ゆえに、樂府官を罷免する。郊祭の楽や古の武楽を良くし、鄭衛の音曲を奏でない者を報告せよ、別にして他の官に所属させるように」) 哀帝の改革にも外戚を押さえるような効果はなく、王莽によって前漢は簒奪された。 そして建安文学の復興まで、楽府の復活はなかった。 後漢の漢詩技術については、二つの説がある。 まずはwiki日本語版等、後漢期に五言詩が成熟し、蔡伯(蔡邕)が完成させたと言う説。 次に、台湾中央研究院のサイトなどで書かれている説。 前漢末の哀帝により楽府が廃止されたことに伴い、後漢期は漢詩の作製技術も衰えたが、詩経など儒教でも聖典とされたものは残り、楽府も一部の学者により保管された。 後漢末期に、蔡邕が楽府や前漢の詩の収集、復元を行なった。 弟子の王粲や娘の蔡文姫、彼らの庇護者であり蔡邕の友人でもあった曹操らによって楽府の復元が引き継がれ、副次的な産物として建安文学が花開いたとするもの。 これは曹操や曹丕の作品に楽府の影響があることや、蜀や呉で漢詩作製技術が発達しなかった理由の説明にもなる。
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yuya氏が作成した東方についての漢詩文まとめ。 蟲姫恋歌 風想儚声星想影 鈴調沈夕螢灯清 即雖幻郷幽渓見 必於永夜月下迎 風には儚声を想い、星には影を想う 鈴調、夕に沈みて螢灯清らげなり 即い幻郷幽渓に見ると雖も 必ずや永夜月下に於いて迎えん 風には貴女の儚げな声を想い、星には貴女の姿を想います 鈴虫の調は夕暮れに沈み、蛍の光はとても清らかである たとえ幻の郷、人里離れた渓で見たのであろうとも 必ずや明けない夜、月の下に迎えにいきましょう 神主夏便 凛誇向日葵 楽響祭鼓声 半夏為斑雪 万蛍成流星 暑昼求氷精 蒸晩欲半霊 請再注冷酒 惜夏干千瓶 凛誇る向日葵、楽響く祭鼓声 半夏斑雪を為し、万蛍流星と成る 暑昼氷精を求め、蒸晩半霊を欲す 請う、再び冷酒を注げ、夏を惜しみ千瓶を干さん 凛と咲き誇っていた向日葵、楽しげに響いていた祭囃子 半夏生は庭に斑雪を作り、幾万の蛍が流星を成していた 暑い昼は氷精を求め、蒸す夜は半霊が欲しがったものだ どうかまた冷酒を注いでくれないか、今はこの過ぎ行く夏を惜しんで千個もの瓶を飲み干そうではないか 旧縁之夢 屍体微睡朱門夢 醒眠零紡詩一句 不覚溢伝涙一片 吾与誰唄春暖愉 屍体微睡み、朱門の夢 眠り醒め、零れ紡ぐ一句の詩 覚えず、溢れ伝う一片の涙 吾、誰と唄うか、春暖の愉 死体、微睡み朱門(羅生門)の夢を見る 目覚め、ふと口ずさんでしまった詩の一節 理由も分からず溢れ頬を伝う一筋の涙 私は誰と春の暖かさの喜びを歌いあっていたのだろう 春暖…都良香の代表作の一つ。羅生門の逸話で有名。 惜春天弦 春雨鄙館聴幽弦 嬋娟寂調天上絃 朧月一条照奏姫 幼蝸覚暁春宵幻 春雨、鄙館、幽弦を聴く 嬋娟、寂調、天上の絃 朧月一条、奏姫を照す 幼蝸、暁を覚え、春宵の幻 柔らかく降り注ぐ雨、人の気配のない館、幽かな弦の音を聴く たおやか、そして寂しい調はまるで天上の世界から垂れる絃のよう 朧月が一条射し奏でていた姫を照す まだ幼い蝸牛が夢をから覚めた、全ては晩春の夜の幻だったのだろうか 春雨→二月(旧暦春)の季語 朧月→三月(旧暦春)の季語 蝸牛→五月(旧暦夏)の季語なのだが幼蝸とすることで春が終わり、夏が始まる直前をイメージ 覚暁→有名な春眠不覚暁(四月の詩)より、あれも春を惜しむ詩 死神夏夢 天高雲往彼岸花 船頭古舟流命河 貪眠遊夢覚一客 天楽獄苦不知我 天高く雲往き彼岸花 船頭古舟命河を流る 眠貪夢遊覚めて一客 天楽獄苦我は知らず 唐傘一怪 出舌開一眼 怖逃叫恐声 紛闇率百鬼 潜夜舞千京 畏々無愚智 驚々無主俾 勿遊霖雨晩 忘傘笑儚世 舌を出し一眼開く、怖がれ逃げろ恐声を叫べ 闇に紛れ百鬼を率い、夜に潜りて千京を舞う 畏々愚智と無く、驚々主俾と無し 霖雨の晩に遊ぶ勿かれ、忘傘儚世を笑う 舌を出して大きな瞳を開く、怖がれ!逃げろ!悲鳴をあげろ! 闇に紛れて百鬼夜行を率い、夜に潜って千の京を舞い翔ぶ 愚者も智者も皆畏れおののき、主人も奴隷も無く皆驚き叫ぶ 静かに続く雨の晩に出歩くことなかれ、忘れ傘は儚い人の世を笑う 星蓮船 蒼天広悠々 雲流供宝船 持宝何処往 抱欲何人辿 求妖魔倒伐 狙金銀玉銭 到墨夢乃跡 彼聖眠法園 蒼天悠々と広がり、宝船と供に雲流れる 宝を持ちて何処へ往く、欲を抱きて何人が辿る 求むは妖魔倒伐、狙うは金銀玉銭 到りて墨夢の跡、彼の聖は法園に眠る 青い空は悠々と広がり、何処からか来た宝船と共に雲は流れてゆく そんな宝を持って何処にいこうというのかね、欲を持った何人の人間たちがついてゆくだろう 求めるのは妖怪退治?欲しいのは金銀財宝? どうせ到るのは墨家(諸子百家のうちの一家。非攻『平和主義、但し自衛は可』、や兼愛『無差別の愛』を唱え戦乱の世に巻き込まれ消滅)の夢の成れの果てに過ぎないと言うのに、その念仏聖は法の園に静かに眠る 優曇華花 追兎入竹林 失道遭紅眼 酔脚不覚先 揺頭不頼腕 無知何処迷 無分何時還 夢醒咲一華 我疑真与瞞 兎を追いて竹林に入り、道を失い紅眼に遭う 酔脚先を覚えず、揺頭腕も捕らえず 何処を迷うも知ること無く、何時還るも分かること無し 夢醒めて一華咲く、我疑う真と瞞 兎を追って竹林に入り、迷子になって紅い眼をした化物に遭った 酔ったような脚では先に進むことも出来ない、揺れる頭では自分の腕すら頼ることすらできない 何処を迷っているのかも分からず、何時出られるのかも分からない 夢から醒めてみると、目の前には一輪の優曇華の花、これも夢か現か分からなくなる 唐傘恨節 一輪唐傘破 濡頬佇秋霖 到白宿精魄 覚生知哀淋 唯叫怨忘君 独悔恨壊身 其嘆誰届乎 雨中無戻人 一輪唐傘破れ、頬を濡らし秋霖に佇む 白に到りて精魄宿り、生を覚えて哀淋を知る 唯忘れた君を怨むと叫ぶのみ、独り壊れた身を恨むと悔いるのみ 其の嘆誰をか届くや、雨中戻る人は無し 一輪の破れた唐傘が、秋霖(秋の長く降る雨)頬を濡らして佇んでいる 九十九神になって(白と『百年に一年たらぬ九十九髪』=白髪を掛けている)魂魄が宿り、生きることを知ったが故に哀しさ、淋しさを知っってしまった ただ私のことを忘れてしまった貴方が怨めしい、ただ壊れてしまった我が身が恨めしい その嘆きは誰に届くことがあるだろう、雨の中取りに戻る人はいないのだった 白玉飯 鎮気睨好敵 俎上肉菜菓 踊材煌白楼 跳油舞鉄鍋 白米為銀嶺 汁物成黄河 然主求再飯 何由飽腹乎 気を鎮め好敵を睨む、俎上肉菜菓 材踊り白楼煌めき、油跳ね鉄鍋舞う 白米銀嶺を為し、汁物黄河と成る 然れど主再飯を求む、何に由りて腹飽くや 精神を落ち着かせ目の前の好敵手を睨む、まな板の上には肉や野菜や果物 食材は踊り、煌めく白楼剣が斬り刻んでゆく、油は跳ねて鉄鍋が舞うように食材を炒めてゆく 炊きあがったご飯は雪山のように盛り上がり、出来たお味噌汁はまるで黄河のよう でも私の主はそれでも御代わりを要求してくる、どうすればあの方の腹を満たすことができるのだろう 土夜熱狂 週終来土夜 心高煌鏡光 心労爆雷撃 身苦消酒泡 無礼酌少長 忘時躍人妖 此正有頂天 請無至月曜 週終り土夜来る、心高まり鏡光煌めく 心労雷撃に爆ぜ、身苦酒泡と消ゆ 礼を無くし少長と酌み、時を忘れ人妖と躍る 此、正に有頂天、請う、月曜の至ること無きを! 仕事も終わってサタデーナイトフィーバー、テンション上がってネオンも煌めく 心労は雷撃で弾け飛び、体の疲れはこの酒の泡のように消えてしまう 無礼講で上司とも後輩とも酒を酌み交わし、時間も忘れて人も妖怪も躍り狂う 此処がまさしく有頂天、お願いだから月曜などこないでおくれ! 酔仙乃幻 月下一美妃 欲逢迷妖宴 九尾奏玄象 二又舞胡旋 帰我弾泡影 戻現醒夢幻 唖惜逃甘露 唯我待再縁 月下、一美妃、逢うを欲し妖宴に迷う 九尾玄象を奏で、二又胡旋を舞う 我に帰りて泡影弾け、現に戻りて夢幻醒める 唖、惜し、甘露を逃す、唯我再縁を待つのみ 月の下に美しい婦人がいるという、逢おうと思って行ってみたら妖怪の宴に迷い混んでしまった。 九尾の狐が玄象(有名な琵琶の名器)を奏で、二又の黒猫が胡旋(ペルシアの激しく回る踊り)を舞っている。 ふと、我に帰ってみると全ては夢、幻のように消え去ってしまった。 嗚呼、惜しいことをした、私ということが甘露のような美酒を逃してしまうとは、ただ私は再会の縁があることを待ち望むことしか出来ない。 闇妖哀歌 欲君為其肉 求君為其肝 然舌不至満 然胃不達歓 何為痛吾胸 何以伝吾嘆 既君溶我腹 莫解人喰潸 君を欲するは其の肉が為、君を求めるは其の肝が為、 然れど舌は満ちるに至らず、然れど胃は歓するに達せず 何為れぞ吾が胸は痛み、何を以て吾が嘆きを伝えん 既に君は我が腹に溶け、人喰いの潸を解するものは莫し あなたを欲しいのはその肉を食べたいからのはず、あなたを求めるのはその肝を貪りたいからのはず、 それなのに私の舌は満足に至ってくれない。それなのに私の胃は歓びに達してくれない。 どうして私の胸は痛むのだろう。どうやってあなたにこの嘆きを伝えたらよいのだろう。 あなたはもう、私に食べられてしまったというのに。 人喰い妖怪の流れる涙を理解してくれる人はもうだれもいない。 双月宴 肴酒眺月湖 双鬼倣太白 酔友割天月 酔我砕湖核 舟壊即沈々 共笑又拍々 不亦宴楽乎 揺杯映三角 肴酒眺月湖 朱杯映三角 酔我割天月 酔友砕湖核 舟壊即沈々 共笑又拍々 不亦宴楽乎 溢酒笑太白 無題 古城鄙無訪 唯月明其跡 地獣数幾星 天梟数幾礫 塞心故其禍 閉門故其寂 今者不有知 独時待其幎 古城鄙びて訪れるもの無し、唯月のみ其の跡を明かる 地獣幾星を数え、天梟幾礫を数う 其の禍故に心を塞ぎ、其の寂故に門を閉じる 今者知るもの有らざるなり、独り時のみ其の幎を待つ 氷精凱歌 在故我最強 今無強於己 遇蛙則凍遊 遭人則惑嬉 誇力勝人妖 矜賢破神鬼 我夢正幻覇 故将進明日 在るが故に我最強なり、今己より強きものは無し 蛙に遇いて則ち凍らせ遊び、人に遭いて則ち惑わせ嬉ぶ 人妖に勝ちて力を誇り、神鬼を破りて賢を矜ず 我が夢正しく幻の覇なり、故に将に明日へ進まんとす 私が私であるから最強なのだ、今私より強いものは存在しない 蛙を見つけては凍らせ遊び、人に遭っては惑わせて喜ぶ。 人間や妖怪に勝って力を誇り、神や鬼を撃ち取って賢さを誇る そんな私の夢は正に幻想郷の覇者である、だから未来に向かって進んで行くのだ!
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自給自足で食糧確保というとつい山菜や魚に目が行ってしまいますが、 よく周りを見渡せばそこら中に肉の固まりが飛び回っているではありませんか。 あいつらをゲットできればかなり食費を浮かせますね。 スリングショット猟は違法? かといって空を飛びまわる連中を捕まえるのはかなり至難の業です。 罠を仕掛けるのは免許が必要ですし、そもそも他人の土地や国が管理している土地に 勝手に罠を仕掛けちゃいけないことくらい私でもわかります。 銃を取得するにも免許が必要ですし、金がかかりすぎて本末転倒です。 あんなものは田舎の金持ちの道楽です。 諦めかけていたところにある動画と出会い道が開けました。 その動画によると、以下の理由によりスリングショットを使っての野鳥狩りは違法ではないようです。 スリングショットは銃刀法の適用外である。 スリングショットは自由猟具にあたるので免許不要。 鳥獣法(対象鳥獣、猟期、、禁止猟法、保護区等)の範囲でのみ許される。 素人の私が説明するよりこちらを参考にしてみてください。 自作スリングショットで狩猟してみた おそらく上の動画主であると思われる人のブログ スリングショット猟の意義と法律解釈
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ダイコン みわたせばこうや 収録作品:SACRED BLUE[Win]/Seraphic Blue[Win] 作曲者:Ciel(CielP) 概要 Ciel(ボカロP等では「CielP」名義)氏が作曲したフリー素材曲。 非商用作品であれば素材として使用できる。 天ぷら(榊本祐)氏製作のフリーゲーム第1作『SACRED BLUE』、及び第3作『Seraphic Blue』で、ラスボス戦の曲として使用されている。 イントロは非常に透明感のあるピアノソロから音が加わって荘厳な雰囲気を醸し出して行き、大きな盛り上がりを見せる。 ピアノ中心の、激しくはないが力強さと深みのある旋律がラスボスの神性に良く合っており、最後の戦闘に相応しい印象的なテーマとなっている。 なお、メロディー部のピアノが単音であることからも分かる通り、本作は元々歌詞付きの曲である。 『SACRED BLUE』ではmidi版、『Seraphic Blue』ではノンボーカル版のMP3版が採用されている。 …というのがゲーム曲として語る場合の話。 実は本作は、Ciel氏が高校の部活で友人とふざけて作った歌詞に歌を付けたものである。 そのため歌詞は完全にネタに走っており、歌詞付きで聞くと歌詞無しバージョンのシリアスさが全く消え失せてしまう。 そもそも「DYCON」というのは「大根」のこと。 歌詞はただの農家ロイドであり、「有機栽培」やら「刃(でばぼーちょう)」やらが出て来てやりたい放題。 ちなみに2番は大根は出て来ずカブの歌になる。 『Seraphic Blue』はフリーゲーム界屈指のシリアス作品であり、シナリオ面で高い評価を得ている。 その作品の最高潮で使われるこの曲がこんなネタ曲だとはまさか思わず、普通に聞く分には非常に場面に合った良曲ということもあって絶妙なシュールさを醸し出している。 この曲をホームページから取得している以上、ゲーム作者の天ぷら氏がまさかこういう歌詞の曲だと知らないとも考え難い。 そのため「分かった上で」この曲を採用したということになり、そのネタ性は深まるばかりである。 歌詞 + クリックすると表示 オレの大根の中には オレの汗と涙 オレのにんじんの中には オレの血と情熱 種をまけば 鳥が食う 実を結べば とって種にする ☆1 (Radish!) 世界に一つの (Radish!) オレの友達 (Radish!) 有機栽培だけど (Radish!) 食えたもんじゃねぇ! 土にまみれた 『刃(でばぼーちょう)』・・・ (Ah―――!) オレの赤かぶの中には じゃがいも と にんじん オレの白かぶの中には 大根 と 玉ねぎ ほおっておけば すぐくさる くさって埋めれば また育つ ☆2 (Red)(Turnip!) がんばって入れたけど (Red)(Turnip!) はみ出している (White)(Turnip!) しかたがないから (White)(Turnip!) オレが入った! なやに忘れた 『刃(でばぼーちょう)』・・・ (Ah―――!) 種をまけば 鳥が食う 実を結べば とって種にする ☆1 (Repeat) ☆2 (Repeat) (Ah―――!) 過去ランキング順位 みんなで決めるフリゲ音楽ベスト100 67位(Seraphic Blue) 第2回みんなで決めるフリゲ音楽ベスト100 33位(Seraphic Blue) みんなで決めるRPGバトルBGMランキングベスト100 354位(Seraphic Blue) 第2回みんなで決めるラストバトルBGMベスト100 287位(Seraphic Blue)
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BTS/171 R まわりを見渡す小鳩/隣人部 女性 パートナー おびえる小鳩/隣人部 女性 レベル 3 攻撃力 3500 防御力 5500 【ククク……待っておれ、闇の竜よ】《妹》《魔族》 【起】〔リタイヤ置場〕[あなたの手札を1枚、あなたの控え室に置く] → あなたのリタイヤが、すべて《妹》か《魔族》を持つカードなら、あなたのリングのカードを選び、このカードと入れ替える。そのターン中、このカードを+1500/+0し、このカードのアタックはパートナーアタックにならない。 作品 『僕は友達が少ないNEXT』 備考 このカードをパートナーにしているカード 取得中です。 関連項目 取得中です。
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本家IDで魔法戦記 あまり難しいことを考えずたまには懐かしさに浸ってみたいかなと IDで魔法戦記、旧名、IDで魔法の属性を決めて魔法戦記…周りを見渡せば単色や戦士ばかり。 それでも魔法戦記は熱かった。 君は覚えているだろうか、属性を得られずに商人となったあの日…レベル6に恐れおののいた ケムタンだったあの夜…人外ハンターの手を辛くも逃れ、海を泳いだ人魚だった夕べ… そして主を求め一晩中荒野を彷徨ったあの朝……それでも君は一人ではなかった。 なぜなら、…そこに魔法戦記があったから。 IDで魔法戦記クラシック。今宵、最も長い間愛された、獣属性導入前の魔法戦記が復活する。 ----- 属性表(アルファベットは大文字限定、端末の数字や記号は無視されます) 1→炎 2→水 3→雷 4→木 5→煙 6→音 7→地 8→風 9→氷 0→鉄 A→光 B→闇 C→無 /→魔力2倍(倍々形式で増加) XYZの3(順不同)→魔王 AB//の4つ(順不同)→聖 これらに当てはまらない場合→戦士(+が無ければ商人にもなれる) +→身体能力を飛躍的に高める(戦士にのみ有効) ルールは完全に本家魔法戦記に従う。属性の仕様も本家の通り。無属性も使える。 ただし獣属性のみ適用されないので注意。 IDで魔法戦記@wiki http //www2.atwiki.jp/mahousenki/ 名前 コメント
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#blognavi 要領の良い人間、悪い人間というのがいる、たぶん周りを見渡せばちらほらと。 ご多望にもれず私の研究室の後輩にも要領がいいのと、普通なのと悪いのがいる。 要領がいいのは要領が良すぎて、すぐ人に聞く癖や人のやりかたを見てやる癖、サボり癖がついているためかいまいち使えそうにない。 なんか論理を帰結させるのに、楽に帰結させたいためか仮定の上に仮定を積み重ねてるような危うさがある。 要領が悪いのは要領が悪くて、人のペースに合わせてもできないことが多いためか人に聞くことができず使えそうにない。 それなりの学力を要求される大学だから能力的に低くないんだろうけど、自分のペースでしか物事を考えたり行えたりしないから締め切りや完成度が要求されたとき不安が残る。 まあ、結局、要領っていうのは何もすることがなくて暇になってなにか余計な事をするくらい要領が良いか、本当に普通であるか、能力が圧倒的に高くて要領が悪い、の三択じゃないとろくなことにならない。 そして早くて見栄えがいい分(他人なんて大概表面しか見ないし)中途半端に要領の良い人間が上に行くシステムっていうのができて、それは何時の世にも変わらないらしい。 そうした理想(見栄え)と現実のギャップが戦争を生んでいるのだから、平和っていうのは世の中にはありえないのが世の常らしい。 カテゴリ [日記] - trackback- 2005年05月17日 20 55 43 #blognavi